──声優としていくつもの作品で主役を演じ、アーティストとしては、2019年3月27日に待望の1stアルバム『FIGHTER』をリリースした畠中 祐。父も母も役者という環境で育った彼は、幼い頃から役者という職業を強く意識していた。

「父も母も、家でよく芝居の一人稽古をしていたんです。僕がテレビを見ていると、背後で父が唐突に、「俺はあいつを殺した」と言いだして、「ああ、芝居のセリフか。びっくりした!」みたいな(笑)。母は振付師でもあったので、キッチンで急に踊り出したりして、日常に芝居が溶け込んでいるというのが、僕の子ども時代でした」

──自分も芝居をしてみたいと思うのは、当然の成り行きだった。しかし、ひとつの問題が……。

「小学生の頃は太っていたんです。映像や舞台の子役になろうとすると、太った子として売り出していくしかないよ、そうすると徹底的に太らないとキャラクターが定着しないよと親に言われて(笑)。一生、その路線の役者として生きていくのかと悩んだ挙げ句、踏みとどまってしまったんです。じゃあ、体型に縛られずにできる芝居はないかと考えて行き着いたのが、声の仕事でした」

──映画『ナルニア国物語』の吹き替えのオーディションを受けた畠中は、見事にエドマンド・ペベンシー役に選ばれる。ナルニア国の命運を託されたペベンシー4兄妹の次男だ。まずは洋画から、声優のキャリアがスタートした。小学校5年生の時だ。

「画面を見ながら、マイクに向かって話す。しかもたった一人の収録で周りには共演者がいないという初めて体験することばかりで、最初の仕事はワケの分からないまま終わりました。芝居をしているというより、指示された通りに声を出しているという感覚でしたね。でも、やっていた時はすごく楽しかったんです。自分はちゃんと役者として仕事をしているんだと思いました」

──初仕事にあたっては、両親からアドバイスがあった。

「お金を貰う立場だということを自覚しなさい、とまずは言われました。それから、『プロの7カ条』みたいなことを書いた紙を渡されて、机の見えるところに置いておきなさいと。謙虚であれ、自分を疑え、○か×かで物事を考えるな、みたいなことが書いてあったと思います。当時の自分には意味が分からなかったんですけど、今思うと、自分の頭で物事を考える役者に育てようとしていたんだと思います。表現者であるなら、世の中で当たり前とされていることも、そのまま受け入れるんじゃないよ、と」

──最初の一歩を踏み出した畠中が、次に大きな役を得たのは高校1年生の時だった。TVアニメ『遊☆戯☆王ZEXAL』の主人公・九十九遊馬に選ばれたのだ。

「アニメや漫画には詳しくなかったんですけど、『遊☆戯☆王』は知っていたので、役が決まった時は嬉しかったですね。主人公を演じるプレッシャーとかはなくて、単純に声の芝居がたくさんできるワクワクが、心の中を占めていました」

──『遊☆戯☆王ZEXAL』は、3年続く長いシリーズとなった。

「でも、高校時代は仕事一本ということはなく、学生生活をエンジョイしていました。バスケ部に高3まで在籍して仲間を応援したり、時には試合に出場したり。体育祭で応援団をやったこともあって、いい思い出をたくさん作りました。高校時代はめちゃめちゃ楽しかったです」

──卒業後は大学に進学。声優事務所に所属してプロとして仕事しつつ、演劇を本格的に学んだ。

「事務所にわがままを聞いてもらって、仕事より勉学を優先した4年間でした。周りに役者志望、演出家志望、脚本家志望の連中がたくさんいて、可能性のかたまりばかりだったんです。同い年でこんなに才能を持っているヤツがいるんだと、刺激的でした。学生劇団に参加してみたり、友達と朝まで芝居について語り合ったり。サークルもやっていたんですよ。サイクリング部で、箱根や江ノ島にチャリで行ったりしていました(笑)。大学時代も本当に充実していました」

──高校・大学時代に学生らしい日々を送ったことは、仕事にもしっかり活かされている。

「声優は、自分の肉体に縛られない役者なんです。普通の役者がたとえば高校生を演じる場合、顔や体も高校生に近くないといけないじゃないじゃないですか。声優は声だけで勝負するからこそ、高校生にもヒーローにも老人にもなれる。それがこの仕事の一番の魅力です。だからこそ、声に説得力がなければならない。そのためには豊富な人生経験が必要で、10代から20代の初めに青春をたっぷり味わえたことは、役者としての僕の財産になったと思います」

──それとともに、声優という仕事自体にも、可能性の広がりを感じているという。

「アニメや洋画の吹き替えだけでなく、ラジオやバラエティ、舞台、そして歌と、声優の仕事は今、本当に幅が広いですよね。普通の役者よりもマルチになっていると思います。この状況は子どもの頃には全く想像していませんでした。親の世代を見ていると、声優はスタッフの一部、裏方というイメージでしたから。だからこそ、自分の可能性をどれだけ広げられるかが課題で、いろいろなことに積極的に挑んでいかなければいけないと、心が引き締まりました」

──そんな時に飛び込んできたのが音楽活動への誘い、アーティストデビューの話だった。

「まずは声の役者としての地盤を固めないと生き残れないという気持ちがあったので、こんなに早くチャンスをいただけるとは思っていませんでした。声をかけていただけたのはすごく嬉しかったですけど、同時にめちゃめちゃ不安で。でも、せっかくのチャンスに飛びつかないわけにはいかないと思いました。チャンスの神様には後ろ髪がない、というのは真実だと思うんです」

──自分はチキン(小心者)だと苦笑いする。

「でもそれは悪いことじゃなくて、自分を安心させるために努力できるんです。セリフも、体に染みこむまで覚えますし、小心さは役者にとって武器だと思います」

──そうして飛び込んだアーティストの世界。第2回では、音楽活動にかける想いをたっぷり語っていただこう!

インタビュー第2回
「アーティスト・畠中 祐の誕生」は
4月10日(水)掲載予定です。

インタビュー・構成=鈴木隆詩